たか長の屋号は、先々代 高野長次郎氏の名前に由来します。
土に生きた隠れた発明家 高野長次郎は、
明治32年に農家に生まれ、
9歳までしか教育を受けることができなかったにも関わらず、
昼は農業を営み、夜は不眠不休で農機具の発明に工夫を凝らしました。
そうして足ふみ脱穀機や除草機、当時としては画期的な散水風車を開発。
それが全国的使用されるに至りました。
かつて港から石津浜寺にかけて二百基以上あったという風車は、
大正時代後期にこうして誕生し、
春菊やハジカミ、唐チシャ、ほうれん草、糸三つ葉、大根、ネギ、白菜等
当時の野菜作りに大きく貢献したのです。
「長次郎さん、特許を取ってもうけたらええのに・・・」
と、勧める人もいたそうですが、長次郎は
「自分の百姓仕事に少しでも役立てば、と思って作ったんや。
それが皆の役にたてば、これに越したことはない」
と言って、取り合わなかったそうです。
長次郎が作った風車は、誕生からわずか40年ほどの
人の一生にも満たない疾風のような生涯でした。
しかし、その長次郎の意思は、
たか長が堺の街で紡ぎ続けたいと考えております。